Survive and Thrive: Red Sox Prospect Anthony Rizzo's Return From Cancer
プロスペクトで去年開幕から絶好調だったAnthony Rizzoはある日突然ガンであることが発覚、それ以来治療のため野球活動はいっさいしなくなりました。
その彼についてWEEIにブログがあったので紹介します。ガンと告知されて私には想像できない絶望を味わったことでしょうがそれからこれまでのこと、こんなに細かく書いた記事を見るのは初めてです。
Survive and Thrive: Red Sox Prospect Anthony Rizzo's Return From Cancer
2007年のドラフトでレッドソックスはRizzoをドラ6で指名、しかしボーナスのオファーはドラ3並み($325K)でカレッジ進学を断念させる。その年のフロリダのInstructional Leagueでは際立っていた。ソックスのオフィシャルは彼の可能性にうなった。
08年は18才という年齢にも関わらずシングルAのGreenvilleへ行かせた。しかし立ち上がりはスローだった。「Greenvilleでの最初の週はほんとに苦しんだよ。1割台だった。自分に『もっと楽しめ』と言い聞かせたんだ。ちょっと真剣になりすぎていた。」それから調子を上げていった。毎試合2、3本のヒットを打つようになったのだ。もっと年上のピッチャーを相手に4月は.373の打率をあげていた。印象的なのは数字だけではない。野球の仕方がプロ経験がほんのわずかとは思えないほどだったのだ。
Greenvilleの監督は当時言っていた「あいつはメジャーリーガーになれる素質がある。」
Rizzoは信じられないほどのサクセスを止めたくなかった。だから足が腫れて異変が生じたときもトレーナーには言いたくなかった。それをトレーナーに伝えたのはチームメイトのTy WeedenとChris Provinceだ。彼らのおかげでRizzoはトレーナーに足のことを話すことができた。
「彼らのおかげだよ」
最初は腎臓の感染かと思われた。Rizzoはあまり心配しなかった。悪くても1週間休んで抗生物質でも摂るか・・・しかし状態は予想より悪かった。Rizzoはボストンに行き腎臓学のDr. David Steeleに診てもらった。その結果リンパ腺の腫れを発見。Limited Stage Classical Hodgkin's Lymphoma(悪性リンパ腫)だったのだ。
「ガンと言う言葉を聞いたとき、僕は死ぬかもしれないと思った。ホジキンズリンパ腫が何か知らなかった。」「そしてケモセラピーのことばを聞いた。隣にいた母を抱いたよ。」
レッドソックスが信頼を寄せているドクターたちはRizzoのガンはとても治療が可能な種類だからと強調した。
「それから1時間くらい自分に言い聞かせたんだ『絶対ガンに打ち勝つぞ』。ポジティブに考えるようにした。Lance Armstrongのことを考えたんだ。」
Rizzoはじきに近くにポジティブを強める人に出会った。
Jon Lesterとレッドソックス
よくも悪くもレッドソックスは若い選手がガンと戦っているときはサポートする経験はある。Rizzoは回復へのロードマップを見せてくれる人を探す必要はなかった。Rizzoはチームが彼の病気に対する扱いについて心の底から感謝している。Mass General Hospitalのドクターが素晴らしいケアをしてくれたし彼と家族を初期の治療のときはスイートを与えてくれた。ガンとわかったあと多数のFOのメンバーが彼を見舞った。治療中はいろいろな人からも定期的な電話をもらっていた。Theo Epstein、プレイヤー養成部門のスタッフ、ガンを克服したMike Lowellなどだ。
「治療中、すべてがすばらしかった。カレッジに行っていたら1年を棒に振るっていただろう。カムバックできるかなんて誰もわからないだろう。このチームと契約してほんとによかったよ。」
Rizzoとボストンのつながりはもう一枚のレイヤーがある。Rizzoの治療は5月に始まった。5月16日、フェンウェイのボックス席での観戦に招待された。その試合は雨で遅れ、結局延期になった。遅れた間Rizzoにレッドソックスのクラブハウスを訪れるチャンスがきた。そこで彼はTerry Franconaと会う。そのときJon Lesterが監督の部屋に入ってきた。LesterはRizzoと彼の家族にクラブハウスのツアーをしてあげ、30分ほど自分のガンの話をする。
「レスターと話をしていたとき『そうだ、オレはガンなんだ』と改めて思えて気絶しそうになったよ。」「明らかにレスターも同じ経験をしてきたんだ。再び練習できるまでは長いプロセスだと言ってくれた。『すぐには元に戻らない』とも言った。彼はすごく助けになった。とてもいいアドバイスをくれたんだ。」
Lesterが「できるだけ普通にしていろ、ポジティブでいろ」とアドバイスをくれた3日後、さらにそれを補強することが起きた。LesterがRoyalsを相手にノーヒッターを達成したのだ。
Rizzo「あれはすごかったね。」
明るい希望はあるものの、ケモセラピーはたいへんだった。5ヶ月間2週間ごとにケモを行った。1段階の治療の後、南フロリダからGreenvlilleへ行き、自分の荷物をパックしないといけなかった。旅行中、吐き気が彼を襲った。
「最初の3ヶ月は自分の部屋に座っているだけだった。吐き気がして食べることもできなかった。食べるものといえばミルクシェイクだけだった。近所の人はブラウニーを作ってくれた。それだけは食べられたけど他は何を食べてもまずかった。」
第1段階のトリートメントが過ぎ、ケモの服用は変わらなかったが、ようやく身体を動かし始めることができた。2週間ごとの治療の後、ともだちとベッドルームの外で会うようになった。
「火曜日に治療を受けると土曜日には普通になった。走ることはできなかったけどジムで軽いエクササイズはしていた。」
4週間がすぎ、PETとCTスキャンの結果、Rizzoのガンはなくなったとわかった。ガンは完全に消えたと確信するまで引き続き治療は必要だが彼は再びアスリートになるため準備することができるのだ。
「火曜日に治療して金曜日までには普通の人と同じように走れるようになった。」
治療の終了が近づき、彼はトレーナーと自宅でトレーニングしながら、フォート・マイヤーズのレッドソックスのマイナーリーグ練習場にも何回か訪れた。自宅から車で2時間ほどだ。最初はすっかり弱くなってこのままなのかとも思ったりした。
「最初の練習はさんざんだった。『わ~、これじゃ元には戻れないな。』それでもずっとポジティブでいたんだ。」
9月には治療はほとんど終わろうとしていた。ちょうどInstructional Leagueが始まるころだ。1年前、組織の人たちにいい印象を与えたリーグだ。最後の治療の間、Rizzoは1週間ほどそのリーグに参加した。
復帰
この年はRizzoの家族にとってはひどい年だった。スプリング・トレーニングのとき祖母が乳がんになった。そしてRizzoのホジキンズ病だ。Rizzoのガンが消えたと分かってほどなくして祖母は他界した。Offensive LineとしてNFL入りの可能性もあった兄は膝の故障で4年生の途中で戦線離脱。
Rizzoは両親があまりの悲劇の連続で打ちのめされていたのを見た。だから彼の治療中はなおさら力をつけた。Instructional Leagueへの復帰は単に満足だけでなく希望を家族に与えた。彼は2試合、4打席でプレイすることができた。初打席では三振した。第2席ではTwinsのプロスペクトShooter Huntを相手に2ストライクからブレイキングボールをダブル。2塁に達したときの重大さは否定できないものだった。
「チームメイト全員が応援してくれた。両親を見たら母が大騒ぎしていた。そのとき幸せで涙が出てきたよ。また野球に戻れた。ダグアウトには"Welcome back, Rizzo"と書いたボールがあった。」
それでも試練が終わったわけではない。Rizzoは試合の2週間後、最後の治療をする。そして11月には完全にガンフリーとのことばをもらう。その頃、Rizzoは完全にワークアウトをこなしていた。
「ストレッチをすると筋肉はガラスのようだった。もう少し力を入れるようになるまで2ヶ月かかった。」
12月、レッドソックスが行うStrength campに参加する。そこでもアクションは限られた。
「まだ100%じゃなかった。病気になる前の身体には戻ってなかった。」
しかし新年が来ると調子はどんどん上向いてきた。1月中旬には足枷ははずれ、体力のなさを感じることもなくなった。逆にかつての強さが体中にみなぎっていた。スプリング・トレーニングとなり、彼はとてもたくましく見える。治療中に増えた余分な体重は筋肉になった。1年前、230パウンドあった体重は今年240パウンド、しかし脂肪率は5パーセント落ちている。筋肉がついたのだ。
「これまでで最高だ。年が変わったともにトレーニングをもっとした。エネルギーはこれ以上ないというほど高い。去年より強くなった。フィールドに出られるのがほんとにうれしい。試合に出られる日が待ちきれないよ。」
Rizzoは09年のシーズンに向けて制限は何もない。レッドソックスはスプリング・トレーニングの後は再びフルシーズンに送りたいと思っている。彼は19才だ。これまでで最高のシェイプで、バッティングプラクティスではガン発病前に見られたメカニズムがまだあるところを見せた。彼はいまだにぴちぴちのプロスペクトだ。病後の人間ではなくベースボール・プレイヤーである。
Theo「Anthonyは治療に対して大人ぽく対処したし、その勇気は組織全体に刺激となった。彼はスペシャルだ。」「彼の力強いバッティングプラクティスを見ていると笑顔が浮かんでくるね。」
「ガンになるまで自分がどれだけ野球を愛しているかわからなかった。これからは必死で上がっていくぞ。もしまたGreenvilleに戻れるなら去年のことは考えないようにする。今年は今年、去年は過去のことだ。」「僕の究極のゴールはレッドソックスとしてワールドシリーズに勝つことだ。ただそこへ到着するだけじゃなくて定着してやる。」
治療の間、彼は同じ病気にかかった8才のこどもと知り合った。いまでもメールをやりとりしている。これから勇気を与えるであろう多くの人たちの最初の人間だ。
「ガン克服者を恥じたりしない。今でも毎日フィールドにまた戻れてなんてラッキーなんだろうとそのことを考えている。どんな体験をしたか一生忘れない。チャリティイベントにもいく。ビッグリーガーになって自分のチャリティを持ちたいね。」
はぁ長かった。。。Wiiで遊んだり、お昼ごはん食べに行ったりで翻訳に丸1日かかりました(≧ω≦)
8 件のコメント:
翻訳お疲れ様でした。
ウルウルしちゃいましたよ。
こんな苦境を乗り越えたら人間は精神的にも強くなりますね。レスターくんを見ていてもそう感じます。
胸にグッとくるものがあるけど、うまくコメントできません。
今後のRizzoにも注目ですね。
今日の試合はやっと勝ちそうですね。
STとはいえ連敗は気分悪い^^;
mariyaさん
ありがとうございます。私も読んでいて涙がこみ上げてきました。こういう話はレッドソックスの選手だから、というわけでなく人間に勇気を与えてくれますね。わずか18、19才の青年がよく頑張ったと思います。レスターくん復帰のときも両親が見守っていましたね。
ST第2戦をラジオで聞いてますがレッズのピッチャーが悪いのか打ちまくってますね。バックもばっちりでよかったです。
出来るだけ普通にして居ろって一言、何て重く心強い言葉なんでしょう!!!!
Wiiの上でヽ(▽ ̄ )ノ片足立ちで/(_△_)ヽ、本を片手で読みながらヽ(  ̄▽)ノ、あんな事やΛ(_Δ_)Λこんな事やヾ(_ _)ノ 食事までも^(☆。x)していたのデスね(笑) YouTubeで届いた嬉さを見てみたい気がします・・・ ってまた私やってしもた~言われる前に→しっかりします!!(笑)
hashiさん
ほんとは昨日見つけた記事だったんですけどね。ゆうべはWiiのセットアップでそれどころじゃありませんでした(アセ
スキージャンプを最初に試したときはみごところがって雪だるまになりました。そういうときの顔も傍から見るとおもしろいでしょうね。
それでだんなはあえてガリガリのMiiをこさえたのに体重計った後、いきなりぶくっと太りました(≧m≦)
こんにちは。
仕事中なのに泣きそうになってます。
最近Hagadone復帰の記事でも泣きそうになってました。涙腺緩すぎ?
jditさん
野球ファンが最近聞く話はステロイドのスキャンダルばかりだったけどこういう感動ものもあるんですよね。。。。
翻訳ありがとうございます!レスターのことも思い出し、うるうるです。
いいなはしですね~
若い人のリンパ腫は治りやすい、と本に書いてあっても、実際に身近な人や自分がかかったら、ポディティブにいられる@?!@
ホントに良かった、、、
ありがとう
nomannyさん
ケモセラピーって辛いんでしょ?
ガンと言われてポジティブでいるって簡単じゃないだろうね。つい先日までフィールドで走り回っていたのにいきなり何もできなくなって18才の彼には過酷な仕打ちだったと思う。でもガンを克服できてほんとよかった・・・
コメントを投稿